俺による俺自身のためのまとめサイトかもしれん。ゆるせ。
思ったこと書き起こしてる。
支離滅裂でふぉ
絶賛考えてる途中。
メモ的な。
読みにくくてそーりー。
表現とはなにか。
最近私が考えていることであります。
誰かに何かを伝えたいと思って、絵を描いたり音楽をつくったりもする。そうでない場合もある。
例えば一枚の絵を描いたとして
「この絵を通して伝えたいことは何?」と他人に問われたとする。
1、答えられる。
それならわざわざ絵を描かなくてもそう言えばよくね?
→細かなニュアンスを表す役割→言葉の使い方によっては解決?
→視覚的効果があったほうがインパクトつよい、わかりやすい
2、答えられない。
じゃあなんでそれ描いたの?
→受け手がそれぞれ何か感じてくれたらそれでいい。
→手の赴くままに描いた
→言葉にできないから絵にした
1はプレゼンテーションだよね。
こう言いたい、効果的に伝えるためにこの形にした。
これはツールとしての表現に思える。
2が微妙なところで
受け手がそれぞれ~・ってのはそれなら他人に向けて描いたものを見せる必要はないし、自己満足できたらいいだけで
これって非常に、自分中心じゃないかなあ?
表現というより、吐露で、ついでに他人が色々思ったら面白いなーみたいな。
これは、表現か?コミュニケーション?自己顕示?
手の赴くままに描いたなら、何が手を動かしてるのかって問題が出てくる。心の動きから?
謎の衝動?因果応報?
場合によっては、図らずして缶を蹴飛ばしてペンキをぶちまけたのと似ていたりしないか。
表に現れたらなんでも表現?それなんとなく俺の思ってる表現とチガウ
で、
言葉にできないから絵にした←←これ、初めて見たとき驚いたんだよな。
うまいこと言葉にはならないから、こうした。言葉とは違う形で表現した。だから、伝えたいことは?と聞かれたら言葉で説明できない。
なんだか、これは純粋な「表現」ではないかというような気持ちになったんだよな。
言葉よりも外にある領域、そこにある真実って。
見えないけど確かにある
言葉にできないけど確かにある
何かがある
ってのを、俺は期待してるのかもしれん。
中論読んでテンションあがった。
例えば自分が旦那を好きだと思う気持ちの中に、自己愛も嫉妬も母性も執着も含まれていて
本当は好きなどと一言で済ますことができないはずだ。
また、上にあげたように言葉で言えるものもあるが、言えない、表現できない何かも含まれている かもしれないわけだ。
絵を描くのは言葉で表現できないからだって言う誰かを見つけたことで
人間の感覚や気持ちの中に、言葉で表現できない何かが含まれてるってことに対する、期待を高めたわけで
息切れするほど俺は感動したりして。
普通に生活し思考してると、自分が言葉にひきずられる。
好きだと言ったらこれを好きってことなんだと思いこむし
いつの間にか眠いはこれだと知っている。
言葉と意識の狭間で揺れてみたり
無意味にペンを持ったり
行間、余白にこそ真実がちらついたり
夕焼けはいつも悲しかったり
そんな恋愛のような、つかず離れずなところから生まれるのが「表現」であって
理屈はないけどそこには何かがある、
言葉の虚構や理解を超えた何かがある、
みたいなものを、俺は表現と呼びたがる。
切りすぎた前髪と眉のあいだ
背伸びしてでも牛乳飲む
雲のはじ
言葉は可愛いし美しいけれど
そこで「可愛い」だけなの?
「美しい」だけなの?
行間が愛しくなるような詩を書きたいよ。
気が向いたらいつでも反論とか下さい
支離滅裂でふぉ
絶賛考えてる途中。
メモ的な。
読みにくくてそーりー。
表現とはなにか。
最近私が考えていることであります。
誰かに何かを伝えたいと思って、絵を描いたり音楽をつくったりもする。そうでない場合もある。
例えば一枚の絵を描いたとして
「この絵を通して伝えたいことは何?」と他人に問われたとする。
1、答えられる。
それならわざわざ絵を描かなくてもそう言えばよくね?
→細かなニュアンスを表す役割→言葉の使い方によっては解決?
→視覚的効果があったほうがインパクトつよい、わかりやすい
2、答えられない。
じゃあなんでそれ描いたの?
→受け手がそれぞれ何か感じてくれたらそれでいい。
→手の赴くままに描いた
→言葉にできないから絵にした
1はプレゼンテーションだよね。
こう言いたい、効果的に伝えるためにこの形にした。
これはツールとしての表現に思える。
2が微妙なところで
受け手がそれぞれ~・ってのはそれなら他人に向けて描いたものを見せる必要はないし、自己満足できたらいいだけで
これって非常に、自分中心じゃないかなあ?
表現というより、吐露で、ついでに他人が色々思ったら面白いなーみたいな。
これは、表現か?コミュニケーション?自己顕示?
手の赴くままに描いたなら、何が手を動かしてるのかって問題が出てくる。心の動きから?
謎の衝動?因果応報?
場合によっては、図らずして缶を蹴飛ばしてペンキをぶちまけたのと似ていたりしないか。
表に現れたらなんでも表現?それなんとなく俺の思ってる表現とチガウ
で、
言葉にできないから絵にした←←これ、初めて見たとき驚いたんだよな。
うまいこと言葉にはならないから、こうした。言葉とは違う形で表現した。だから、伝えたいことは?と聞かれたら言葉で説明できない。
なんだか、これは純粋な「表現」ではないかというような気持ちになったんだよな。
言葉よりも外にある領域、そこにある真実って。
見えないけど確かにある
言葉にできないけど確かにある
何かがある
ってのを、俺は期待してるのかもしれん。
中論読んでテンションあがった。
例えば自分が旦那を好きだと思う気持ちの中に、自己愛も嫉妬も母性も執着も含まれていて
本当は好きなどと一言で済ますことができないはずだ。
また、上にあげたように言葉で言えるものもあるが、言えない、表現できない何かも含まれている かもしれないわけだ。
絵を描くのは言葉で表現できないからだって言う誰かを見つけたことで
人間の感覚や気持ちの中に、言葉で表現できない何かが含まれてるってことに対する、期待を高めたわけで
息切れするほど俺は感動したりして。
普通に生活し思考してると、自分が言葉にひきずられる。
好きだと言ったらこれを好きってことなんだと思いこむし
いつの間にか眠いはこれだと知っている。
言葉と意識の狭間で揺れてみたり
無意味にペンを持ったり
行間、余白にこそ真実がちらついたり
夕焼けはいつも悲しかったり
そんな恋愛のような、つかず離れずなところから生まれるのが「表現」であって
理屈はないけどそこには何かがある、
言葉の虚構や理解を超えた何かがある、
みたいなものを、俺は表現と呼びたがる。
切りすぎた前髪と眉のあいだ
背伸びしてでも牛乳飲む
雲のはじ
言葉は可愛いし美しいけれど
そこで「可愛い」だけなの?
「美しい」だけなの?
行間が愛しくなるような詩を書きたいよ。
気が向いたらいつでも反論とか下さい
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